ごっこ

今、思い出した。


小学生(低学年)の時、私はいつも、
ゆみちゃんという友達と、

「アダモちゃんごっこ」

なるものをしていた。
すごく楽しかった。


もう、私は「アダモちゃんごっこ」が、すごく大好きで、ひどく楽しみだった。


学校帰り、
ゆみちゃんの家か、うちによって、
お楽しみの「アダモちゃんごっこ」。


今思うと、くそもおもしろくない。


アダモちゃん役と、
アダモちゃんの飼い主(?)役に分かれる。

アダモちゃんごっこ用の大きなダンボールの家を、設置する。

(設置中は、もう、ウキウキワクワク)

アダモちゃんはそこに入り呼ばれるのを待つ。

じっと待つ。

飼い主(?)役が「アダモちゃ????ん」と呼ぶ。

するとアダモちゃん役が、
元気に「ペイ!!」と返事をして、
ダンボールの家の中から登場。

もう、右手はこれ以上伸ばせないってくらい、
上へ、まっすぐと伸ばしながら。

その後は、もうテキトー。

「アダモちゃーん、元気だったかーい?」

「ペイ!アダモ・・・アダモ・・・寂しかったー!」

って感じ。
毎回、アドリブでストーリーが決まる。
それの繰り返し。

こんなくだらない遊びで、私とゆみちゃん大爆笑。

腹を抱えて転げまわりながら大爆笑。

ちょっと、腑に落ちないのは、
毎回毎回、アダモちゃん役が私だったこと。

つーか、立候補してたんだけど。

とにかく、アダモちゃん役がやりたかった。

当時、アダモちゃん役をやらせれば、
私の右に出るものはいないという自信があった。

アダモちゃん役は誰にも渡さない!と
思っていた。

逆にゆみちゃんの飼い主(?)役も、
はまり役と呼ぶのにふさわしいものだった。

彼女のアダモちゃんに対する愛情と母性本能は、
演技の域を越えていた。

最初のうちは、キャスティングも、
ローテーションを組んでいたが、
だんだん、私=アダモちゃん。
ゆみちゃん=飼い主(?)という、
ゆるぎない法則が出来上がり、私は、毎回、
「ペイ!」
と大はりきりで叫んでいた。

そして、
アダモちゃんごっこが一通り終了したら、
反省会とミーティングを兼ねたおやつタイム。

おやつを、モグモグ食べながら、
今日のアダモちゃんは良かったとか、
もうちょっと、元気な方がいいとか、
飼い主(?)役あってこそのアダモちゃんだねとか、
次は問い掛けるようにアダモちゃんを呼んでみようとか。

お互いの意見を出し合ったり、
時には誉めあったり。


でも、だんだん、私たちも、
色んなものに興味がではじめ、
アダモちゃんごっこが、人生の全てではなくなった。
好きな男の子ができたりもした。

好きな子がその現場に居ようが居まいが、
アホ面さらして
「ペイ!」
と言うことなど私にはできなくなった。


そうやって、私たちは自然に、
アダモちゃんごっこ離れをした。


今でも、ゆみちゃんに会うと、
アダモちゃんごっこの話をする。


一度、
もう1回やってみようということになって、
やってみた。


あの頃みたいにダンボールがないので、
私は、となりの部屋に身を潜めて、
ゆみちゃんのアダモちゃんコールを待った。


「アダモちゃーん!」


よみがえる記憶。
私は一瞬にしてあの頃に戻った。
しかし、理性が・・・・。
もう、成人式もとっくに終わってるのに・・・。
でも、後には引けない。
行け!アダモ!


「ペイ・・・・!」


理性が見え隠れするアダモちゃんの、
なんと哀れなことか。
泣きたくなった。
手も、中途半端な上がり具合。
(ちょっと、曲がってる)
声にも、まったくはりがない。
明らかに無理してる。
赤面。

恥ずかしかった。
私はもう、あの頃のマッチじゃない。


「ねぇ、やっぱ、やめよ?」
と、私は言った。

「うん、2度とやらない」とのお返事。

でも、それもそれでけっこう笑えた。
私はあの頃の自分をちょっと尊敬した。


           おしまい。

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